戦後の混乱の中、4人の信徒と共に弘教を開始

光薫寺の始まりは、開基・日源上人にさかのぼります。
上人は在家時代に経力による現証ご利益で多くの人々を救済し、出家に至りました。
戦後の混乱期の中、法嗣日進上人が中国大陸より博多に上陸し、わずか4名のご信徒と共に弘教を始めます。
昭和23年、宗門より正式に認められ「博多光薫教会」として設立。
昭和29年に「長松山 光薫寺」と寺号を公称し、現在の場所(博多区山王)に本堂を構えたのが昭和39年のことです。
昭和58年、先住・日元上人が住職を継承。30年以上にわたるご奉公では多くの功績を残されました。
そして平成27年、信翠化主が新住職として受け継ぎ、信者と共に菩薩行に励んでいます。

光薫寺

光薫寺

福岡市三社町(現在の福岡市博多区駅前)にあった光薫寺(昭和29年)

光薫寺略年譜

昭和12年 開基日源上人、大陸弘通開教司監として本門法華宗より命を受ける(当時、本門仏立宗は本門法華宗の内部団体)
昭和13年 上海・佛立寺建立
昭和14年 南京・佛立寺建立
昭和19年 日源上人、南京にて御遷化(法寿69才)
昭和20年 終戦により上海・南京の仏立寺は中国政府によって接収
昭和21年 先々住日進上人、中国大陸より博多港に上陸
昭和23年 信徒4名と共に六畳一間の仮道場にて弘通開始
昭和28年 博多区三社町に本堂建立
昭和29年 寺号公称
昭和39年 現在地に本堂移転
昭和43年 納骨堂竣工
昭和44年 新本堂竣工
昭和45年 客殿完成
昭和47年 対馬別院竣工
昭和50年 鳥栖別院(現在の光道寺)竣工
社会福祉法人光薫福祉会設立認可
光薫寺保育園・教務宿舎竣工
昭和54年 小川島別院竣工
月刊誌「まごころ」創刊
昭和57年 古賀別院竣工
昭和58年 住職交代(日進上人→日元上人)
平成4年 唐津別院竣工
平成6年 特別養護老人ホーム・ケアハウス光薫寺ビハーラ竣工
平成9年 講堂竣工
平成14年 「こだわりを捨てる」出版
平成20年 粕屋別院竣工
平成23年 先々住御遷化(法寿94才)
平成27年 住職交代(日元上人→現住)
平成28年 霊堂竣工